新・祖母が語った不思議な話:その捌拾弐(82)「湖の大きくらべ」

明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

イラスト:チョコ太郎(協力:猫チョコ製作所)

昔々、ある美しい山に、澄み切った清らかな水を湛(たた)えた湖がありました。
そこに住む心優しい女神は地元の人々や山の動物たちを優しく見守り、そのおかげで皆穏やかに暮らしていました。

ある日のこと、突然空が黒雲に覆われ、真っ黒な龍が飛来しました。
黒龍は女神の住む山を大きな爪で削り取り、巨大で深遠な湖を造って住み着いてしまったのです。

黒龍が住み着いた湖の周囲の木々は枯れ、住処を奪われた動物たちを次々と屠(ほふ)りました。
見かねた女神は黒龍のもとへ赴(おもむ)き、「共にこの山に暮らすのであればそのようなことは止めなさい」と諭(さと)しました。

しかし黒龍はあざ笑い、こう言い放ちました。

「ハハハ! くだらぬことを言うな。この山で一番力を持つ俺が何をしようと勝手だ! お前ごときのちっぽけな湖と、俺が造ったこの巨大な湖を見比べてみるがいい。それでも分からぬなら勝負だ。お前の湖と俺の湖、どちらがより多くの水を湛えているかを競おうではないか。負けた方はすぐさまこの山を去る……どうだ?」

黒龍の湖は大きく、底知れぬ闇のように深々としていました。
女神は一見して敵わないと思いましたが、全ての生き物を守るため固い決意を込めて頷きました。

「その勝負受けましょう。それで、いつ?」
「三日後の満月の夜」

こうして、二つの湖の勝負が始まることになりました。

勝負を受けたものの、湖の大きさでは到底かないません。
女神は村人たちの夢に現れ、助けを求めました。
村人たちは自分たちをずっと守ってくれてきた女神と大切な水源のため、老いも若きも、子どもたちまでが一丸となり、休むことなく鍬や鋤を振るい湖の周囲を懸命に掘り広げました。

「!!! い、いつの間に?」一人の若者が声を上げました。

気が付くと山の生き物という生き物が村人たちと一緒に掘り進めていたのです。

穴熊や猪、狸に狐、果ては熊までが湖の周囲を一心不乱に掘り進めます。
魚や沢蟹たちは水底の岩を集め、それを川獺(かわうそ)が引き揚げます。
空からは鳥たちが集まり、削り取った土砂を遠くの谷へ運んで行きます。

皆の努力の甲斐あって、湖の大きさは黒龍の湖と変わらないほどになりました。

そして三日後の煌々と月が輝く夜…黒雲と共に黒龍が女神の湖の上に現れました。

「ほう! どうやったのか知らんが、大きさは同じくらいか…よし、あとは深さだ。お前の湖の水をすべて空にし、そこに俺の湖の水を流し込む。溢(あふ)れれば俺の勝ちだ」
黒龍はニヤリと嗤うと女神の湖の水を空中に巻き上げ、自分の湖の真っ黒な水をそこに流し込み始めました。

「ドドドドド……!」
激しい音を立てて黒い水が注ぎ込まれます。
村人と生き物たちの奮闘によって大きくなった湖に黒い水はどんどん吸い込まれていきます。

しかし黒龍の湖の水量は、想像を絶するものでした。
湖の淵ギリギリまで迫ったその時、黒龍の湖にはまだまだ水が残っています。

「うははは! あとほんの少しで溢れ出るぞ! 俺の勝ちだっ!」
黒龍が高笑いをあげ、残りの水をドッと流し込もうとしたその瞬間——。

ズズズズズ……ッ!!
湖の底から山全体を揺らすような地鳴りが響き渡りました。

「む? なんだ……!?」
黒龍が驚いたそのとき、湖の中央の水面が大きく盛り上がり、そこから苔むした巨大な岩山のようなものが姿を現しました。

それは、湖の地中深く何百年も眠り続けていた、山の主である大亀!

「ふぁ〜あ……騒がしくて目が覚めたわい。なんじゃ黒龍の小僧、儂の寝床の上で何をゴチャゴチャやっとる?」
大きなあくびを噛み殺すと、大亀はゆっくりと湖の外へと這い上がっていきました。
その一歩一歩に地面は鳴動し、三つ先の山までが揺れました。

誰もが呆気にとられていた、そのとき。
大亀の占めていたところにぽっかりと空いた空間に、水がどんどん流れ込んでいきました。
「な、なにぃぃーっ!?」
黒龍が呆然と見つめる中、残っていた最後の水がドバッと湖へ流れ落ちました。
水は一滴も溢れないどころか、まだまだ湖には余裕があります。

女神はニッコリと微笑み、黒龍に向き直りました。
「あなたの水は、すべて私の湖に収まりました」
「ぐ、ぐぬぬぬ……! 大亀の糞婆ぁ、しばらく姿を見なかったからくたばったもんだと思っていたが…こんなところにいたのか…」
それを聞いた大亀は目をしばたたかせながら呟きました。
「なんじゃ? 文句があるなら喰ってやるぞ」
黒龍は悔しさに顔を歪めながら尻尾を巻いて空の彼方へ逃げ去っていきました。

こうして山に平和が戻りました。
「さて、もう二、三百年眠るとしようか」大亀はまた湖の下に戻って行きました。
主を失った黒龍の湖は一年と経たずに水が絶えてしまいました。

村人、動物たち、そして大亀のおかげで守られた女神の湖は、深く清らかな「恵みの湖」としていつまでも全ての命を潤し続けました。

チョコ太郎より

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