新・祖母が語った不思議な話:その漆拾伍(75)「岩見と蜘蛛・迅風鬼(じんぷうき)」

明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

イラスト:チョコ太郎(協力:猫チョコ製作所)

「そいつぁ迅風鬼ですね…やっかいなヤツが蘇っちまったねぇ」

柱に背をもたれさせながら、絲は忌々しそうに舌打ちを一つした。

「道場の帰りの若侍たちが襲われてな。命があったのが不思議なくらいの大怪我を負ったのだ。このままにしておくわけにはいかぬ」
「う〜ん…何よりまずいのは足の速さ。目で追おうなんて思ったら大間違い、気付いた時には4本の腕でこっちの首がポロリ、動くときに起こる風だけでも肌が切り裂かれる怪物…どんな達人でもまともにやり合って勝てる相手じゃないですよ」

「うむ…ほかには?」
「おまけに、硬いんですよ。生半可な刀じゃ刃が欠けるどころか、ポッキリ。この前、眠りから覚めたときに…っても五十年前ですが、十人がかりで挑んだ見廻り組が瞬く間に全員八つ裂き」
「う…む、ほかには?」
「そうですねぇ…人をたらふく喰って満足したら眠りにつくんですが、その場所はいまだに不明。弱点は…額にある目だと私の大叔母様に聞いたことがありますが…」

「よし! 危ない賭けだが、協力してもらえるか?」
「あたりまえじゃないですか! して決行は?」
「明日の夜、浄見寺で」
「あんな立派なお寺を使って大丈夫ですか?」
「拙者がご家老に許しを得る故、心配するな」
「そうと決まれば、策を練ろうじゃありませんか」
「うむ」

次の夜。
月明かりが射し込む浄見寺の廊下の奥で岩見は待っていた。

長い廊下の暗闇から迅風鬼の姿がゆっくりと現れ、その三つの目がニヤリと嗤(わら)った。
「お前が岩見か…あんな手紙を寄越すとはよっぽど命がいらないのだな。では」

来るっ!
廊下に敷かれた赤い毛氈(もうせん)が次々と捲れ上がった。
それを見た岩見は横っ飛び。

迅風鬼が叫んだ。
「な、なんじゃこれはっ!?」
岩見の前に敷かれていたのは毛氈ではなく赤い椿、しかも油を塗った上だったからたまらない。
迅風鬼は勢いそのまま滑って行き、摩擦を失った超高速の巨体は止まることも曲がることもできず、突き当たりに激突した。

「やりおったな…だが、こんなことでこの迅風鬼が…ん? う、動けん!?」
化物を捉えて離さない蜘蛛の巣が月光に浮かび上がった。

「あはは! そりゃ動けないさ。私の糸に捕まったんですからねぇ」
梁の上から、絲がすうっと降りてきた。

その姿を捉えた化物が目を見開いたそのとき。

「闇に疾(と)く帰れ」
一閃。

化け物の急所を岩見の刀が正確無比に穿った。
迅風鬼は動かなくなった。

「一番近くの毛氈の下にだけ油を塗っておき、勢い余った化物を蜘蛛の糸で捉える…上手くいったな。しかしこの油はどこから?」
「ふふふ。そいつはとっときですよ。お〜い!」
絲の呼びかけに柱の影から一人の美女が現れた。
燃えるような真紅の着物をまとった椿の精である。
その艶やかな手には、椿油の入った素焼きの壺が握られている。

「匂いのしない油なんて無茶なお願いして、すまなかったね」
「なにをおっしゃいます。絲さんは私の恩人じゃないですか」二人は笑う。
それを見た岩見は深々と頭を下げた。
「お主たちのおかげで退治することができた。かたじけない」
「ね、堅物だろ〜」
絲の言葉に椿の精はふふっと涼しげに笑うと、真っ赤な花びらに変化し宙に舞った。

最後の花弁が消えるのを見届けた岩見が聞いた「あの迅風鬼をどうやってここに呼び出したのだ?」
「ああ、それでしたら簡単。狸の子にこの手紙を奴のいそうな森中にばら撒いてもらったんですよ。あの子は鼻がいいから、妙な匂いのするトコにね」
と絲が手紙を手渡した。

『旋風鬼 殿

速い、速いとよほど自慢のご様子。
されど、頭の働きは随分とのろまのようにござるな。
化物というより、馬鹿者と申すが相応しかろう。
そこもと程度、拙者ならひと捻りでこざる。
異議あらば、今宵浄見寺まで参られよ。

岩見』

「これはまあ…怒るだろうな…しかも名も間違っておるし」
「あっはっは♪」
「そうだ! 椿の精が『恩人』って言うておったが…何があったのだ?」
「ちょいと長い話なんで、また今度」
「承知した」

二人は月の照らす道を上機嫌で帰って行った。

チョコ太郎より

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