明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

深い霧に包まれた木々の中を、鎧をまとった男が行く。
男の名は景時(かげとき)。
十日におよぶ激戦の末、主君は討死。景時もまた、無数の傷を負いながら、敵の追っ手を逃れて深い山の中をさまよっていた。
「ここまで、か……」
膝をつき諦めかけた時、なにかが視界をかすめた。
深い霧の中それだけがぼんやりと光を放っているかのような、一頭の白い蝶だった。

景時の鼻先でひらひらと舞うと、まるで「こちらへ」と促すように、さらに山の奥へと飛んでいく。
吸い寄せられるように、最後の力を振り絞ってその白蝶の後を追った。
霧の向こう、鬱蒼とした茂みをかき分けた先に里が見えた。
そこで景時の意識は途切れた。

………………
………
…
「気が付かれましたか」
どれほどの時間が経ったのだろう…目を覚ますと、景時は畳の上に寝かされていた。
傷口には薬草が塗られ、包帯が巻かれている。
声のした方に目を向けると、透き通るような白い肌の女が佇(たたず)んでいて、舞と名乗った。
「ここは険しい山々に囲まれ、霧が下界の戦火から守ってくれる隠れ里です。景時様、どうかご心配なさらずにお休みください」
「何故、私の名を? いや、なぜこのように手厚く看病してくださるのか?」
「…子どもの頃、私は景時様に命を救われました。今度は私の番です」
「貴女の命を? まるで覚えがないのだが…」
舞がふふっと笑う。
戸口からは里の者たちが見守っていた。
舞が作る粥、優しく傷を拭う手、そして笑顔…血と泥にまみれた戦場を生きてきた景時にとって、それは生まれて初めて触れる穏やかで温かい時間だった。

数日が経ち傷が癒えると、舞に手を引かれ里を巡った。
美しい里だった。
行く先々では誰もが笑顔で声をかけてくる。
景時は「このままこの里で静かに暮らせたら」と思い始めていた。

しかし、無情にも平穏は破られる。
ある朝、里を囲む霧の向こうから、甲冑の擦れる不穏な音と何人もの足音が聞こえてきた。
「景時はこの辺りへ逃げ込んだはずだ! 捜せ!」

自分が出ていかなければ里に累が及ぶ…景時は鎧を纏い刀を手に取った。
舞は景時の袖を強く掴んだ。
「行ってはなりません。ここに隠れていれば、じきに霧が彼らを惑わせます」
しかし、景時は静かに舞の手を解き、微笑んだ。
「舞殿、あなたのおかげで私は人としての心を取り戻すことができた。これ以上、この里を汚させるわけにはいかない」

景時は敵が待つ山道へと一歩を踏み出した。
「ここだ! かかってこい!」
病上がりの体だが景時は一歩も引かずに敵を倒していく。
しかし数に勝る敵の刃は、次第に景時の体を切り刻んでいった。
満身創痍となり、ついに一本の槍が景時を貫こうとしたその時…。
――ざあ、と山が鳴った。

どこからともなく、何百、何千という白い蝶の群れが湧き上がり敵に襲いかかった。
蝶たちは敵の視界を遮り、顔や手に群がり、狂わせる。
「うわああ、なんだこれは! 目が見えん!」
「化け物だ!」
混乱する敵の隙を逃さず景時は最後の力を振り絞り、ついに追っ手を一人残らず斬り伏せた。

静寂が戻った山道に、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
すべての敵を倒した景時は、その場にどさりと座り込んだ。
もう、指一本動かす力も残っていない。意識が薄れていく…
「景時さま! 景時さま!」
気がつくと舞に抱きとめてられていた。

「舞殿……これで里は……」
血に染まった景時の頬を舞の温かい涙が濡らした。
無数の白い蝶たちが二人を見守るように群れ飛んでいる
蝶か…地に落ちた幼虫を葉にもどしたことがあったな…あれは敵陣に斬り込んだ朝だったか…そうか!
「舞殿は…あの時の…」
「はい!」
……………………………………………………………
――それから数日
「この辺にはいつも白い蝶が群れとるんじゃがまるでおらんな」
「戦(いくさ)ばかりやっとる人間を見限ってどこかに行ったんかのう」
激しい戦いの跡が残る山道へ、後片付けを命じられた村人たちが恐る恐るやってきた。
転がる敵の骸(むくろ)の奥、一本の大きな木に背を預けるようにして座り込む景時を見つけた。
その顔は血にまみれた戦場にいたとは思えないほど穏やかで、満足げに微笑んでいる。
「……笑うたまま亡くなられとる」
村人たちは、息をのんだ。
景時の胸元に短い寿命を終えた白い蝶が止まっていた。
村人たちは静かに手を合わせ、武者とその胸で眠る一頭の蝶を霧深い山の土へと丁重に葬った。






チョコ太郎
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