父の仕事の都合で、小3の二学期に転校した私。転校先の新しい担任の先生によって、悲しい思いを体験しました。そして20年が過ぎ、偶然、思いがけない場所で遭遇したのです。
不安だらけの新しい学校生活

関西のマンモス小学校から他県に転校した私。そこは小学校3年生の女子はたった6人で、仲良しペアが3組完成していました。7人目の私は半端に。
また、男子に関西弁を真似されたりして、私は次第と無口になりました。
ある日の休み時間、ある女の子が
「一緒に図書室に行こう」と声をかけてくれました。けれど、彼女のペアの子はブスっとして不機嫌そうでした
そこへ担任の先生が来て、真顔で呟いたのです。
「やっと女子6人で落ち着いたと思ったら、また奇数だわ」
私の母と同年代の先生は、穏やかな母とは違い、表情が乏しく親しみにくい雰囲気。そんな先生の言葉は、私が転校してきたことを迷惑がっているように聞こえ、かなり落ち込みました。
一生懸命伝えても届かない言葉

ある日、私は授業終了後、勇気を振り絞り先生のもとへ行きました。
その日の学習の基礎を習っておらず、授業の進行についていけなかったのです。
前の学校で、勉強が分からず毎時間ウロウロしている男の子がおり、その子の姿を今日の自分と重ね合わせてしまいました。小3の私は不安でいっぱいでした。
先生は教室にいました。教室の端で、キャスター椅子に座っていた先生に声をかけると、くるりと私に向き直ります。
その顔はまるで能面のように無表情でした。
私は、教科書の進行が前の学校と違うのだと一生懸命伝えました。次第に先生の表情が変化し、両目を吊り上げて私の話をさえぎり
「本当に?」
そして怒った顔で
「前の学校の教科書、明日全部持って来て」
その固い声を聞いた瞬間、私は確信しました。先生は、私の話を疑い、嘘つき呼ばわりしている。
翌日、言われたとおりに重い教科書の束を抱えて登校し、朝一番に渡しました。
放課後、無言で私にそれらを返す先生の顔はむすっとして、最後まで目を合わせることはありませんでした。
その後授業で困らなくなったのは、先生が授業内容を配慮してくれたからなのか、真相はわかりません。
その後も先生は私とまともに目を合わせず、避けられた状態のまま小3を終えました。
忘れられなかった悲しい気持ち

春になり先生は転任。いつしか私も学校に溶け込み、楽しい日々を過ごすことができました。
そして、20年以上経ったある日、眼科に行くと、待合室で聞き覚えのある名前が呼ばれました。私は顔を上げると、のっそりと受付に進んでいく年配の女性の姿が。その横顔は、忘れもしないあの担任の先生のものでした。
彼女の視線の先には、一心にスマホをいじる中年男性。その女性が名前を呼ぶと、息子と思わしきその男性はだるそうに立ち上がりました。そして、大きな足音を立ててそばへ行き、何か強い口調を浴びせます。
会計が終わると、男性は不機嫌な表情で、おどおどした様子の彼女を無理やり外へ追い立てていきました。
もつれる足で、よろよろと去っていく後ろ姿。当時の悲しかった記憶が一気によみがえりました。
先生はあの頃、どんな思いであの息子を育てていたのか。家庭と仕事の両立はきっと大変だったろう。
今さら先生を恨む気はなく、かといって同情する気もありません。ただ、人の記憶に、自分の存在が悲しいものとして残るような生き方はしたくないな、と感じました。
その後、待合室の隅でしばらくの間、遠い記憶を思い出しながら、当時の自分に
「悲しまなくてもいいんだよ。学校の先生が必ずしも正しいわけじゃないんだよ」と優しく声をかけたのでした。
(ファンファン福岡公式ライター/山ナオミ)





