送別会は、「おつかれさま」と「ありがとう」を伝える大切な時間。けれどその場は、本当に見送られる人の気持ちに寄り添ったものになっているでしょうか。かつて私は、退職を前に何度も送別の提案を受けながら、「これは誰のための送別会なのだろう」と戸惑った経験があります。善意のはずの気遣いが、時に相手の負担になってしまうこともある…。送る側と送られる側、その温度差について考えさせられた出来事です。
突然の送別会提案

私が以前勤務していた職場は送別会を行わない職場でした。私自身、仕事は仕事、プライベートはプライベートとON/OFFをはっきりつけたいタイプ。職場で仲間意識を持ったり友達関係に発展したりすることがないため、あまり気心知れたわけではない人たちと食事会に行くのはそもそも苦手でした。
ある日、家庭の事情などから転職することになった私は、転職について職場のスタッフたちに報告。その後、ある先輩から「仲の良い人たちだけで集まりお見送りしたい」と声をかけてもらいました。気持ちはとてもありがたかったのですが、その頃の私は家庭の事情と次の職場の準備が重なり、正直そこまで気が回らない状態でした。悩んだ末、丁寧に送別会はお断りすることに。
すると今度は「昼休みにご飯を食べながら話すのはどう?」という提案が。あまり気乗りはしませんでしたが、それくらいならと戸惑いながらも了承しました。
どこまでも”集まって話をすること”にこだわる先輩
ところがその後提案者の先輩から連絡はありませんでした。てっきり送別会の話は流れて中止になったのだと思っていた矢先、退職5日前になって突然、「昼休みはみんな都合がつかなさそうだから、朝、仕事が始まる前に少し集まらない?」と連絡が入りました。
仕事が始まる前というと普通は仕事の準備や朝の朝礼も控えバタバタする時間です。「なぜそんな時間に集まって一体何の話がしたいのだろう?」「なぜそこまでこだわるのだろう?」と形を変えながら続く提案に私は少し違和感を感じずにはいられませんでした。「そこまでしてもらわなくても大丈夫なのに…」という気持ちもありましたが、はっきり断る理由も見つけられず、その提案も了承するしかありませんでした。
一体誰のための送別会?

ありがたい気持ちと同時に、「これは本当に私のためなのだろうか」とふと疑問が浮かびました。提案してくれた先輩の一方的な思いが先走っているような気がしてなりませんでした。
もちろん、これまでお世話になった感謝の気持ちは、朝礼や終業後などのオフィシャルな場で、きちんと挨拶として伝えるつもりでいました。だからこそ、あらためて“集まる場”を設けなくてもよいのではないか、という思いもあったのです。
送別会やお祝いの場では、「何かしてあげたい側」の気持ちが先に立ってしまうことがあると思います。相手を思っての行動のはずが、いつの間にか“やること自体”が目的になってしまう。悪気はないのはわかっていますが、少し恩着せがましいというか、送る側の自己満足の領域に入ってしまっているような気がしました。
送り出される側にも、そのときどきの事情や気持ちがあります。忙しくて余裕がない時もあれば、静かに区切りをつけたい場合もあります。それでも「せっかくだから」という言葉に押されて、本音を飲み込んでしまうことも少なくないでしょう。
送別会をすることより大切なこと
送別会を行うかどうかよりも大切なことは、相手の状況を思いやることなのではないでしょうか。
私は職業柄なのか、転職先のスタッフと前職のスタッフが知り合いということを幾度となく経験していました。そのため私は次の職場について根掘り葉掘り聞かれることをものすごく懸念していました。なので、「送別会」という形で集まることを避けたいと思っていました。
相手が一度断っているのなら、無理に集まるより、「今までありがとう」「新しい場所でも無理しないでね」といった、たった一言のほうが心に残ることもあるはずです。自分の一方的な思いだけでなく、相手の立場にも目を向けるべきではないでしょうか。そんなことを考えさせられた出来事でした。
(ファンファン福岡公式ライター/つきのあ)





