新・祖母が語った不思議な話:その陸拾陸(66)「潮女(しおひめ)」

明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

イラスト:チョコ太郎(協力:猫チョコ製作所)

昔々、福岡の芦屋の海に、「潮女(しおひめ)」と呼ばれる水妖が何百年もたった一人で住んでいた。
ある時、寂しさに耐えかねて遠賀川を遡って村に近づいた潮女は大波を起こしてしまい、舟や家を押し流す大失敗をしでかしてしまった。

「もう二度と、皆に迷惑をかけてはいけない」

それでも人に近づきたい潮女は力を封印し人の姿となり、村はずれの小屋で暮らし始めた。
力さえ使わなければ普通の人間…
少しずつ少しずつ時間をかけて村の人たちと打ち解けていき、念願だった“みんなと笑い合って暮らす日々”を手に入れた。
「もし正体を知られたら、またあの暗い海の底で一人ぼっちになってしまう…」
潮女は、どんなことがあっても絶対に力は使わないと心に誓っていた。

そんなある日、砂浜で村人と一緒に流木を拾っていると子どもの悲鳴が聞こえた。
村では見たことがない男の子が、海につき出た高い岩場にぶら下がっている! 下は荒い岩肌、落ちるとひとたまりもない。

「危ない!!!!!!!!!」

潮女の体は知らないうちに動いていた。
封印していた力を解き放った。
海面が生き物のように高く盛り上がり、膨れ上がった潮が男の子を優しく受け止めた。

ほっとしたのも束の間、潮女はその場にへたり込んで目を閉じた。
「力を使ってしまった!ついに正体を知られてしまった!…もうおしまい…」

しかし、聞こえてきたのは非難の声ではなかった。
「あんたすごいね!」
「よくやった!」
「ありがとう!」
村人たちが笑顔で叫ぶ。
助けられた男の子は、潮女に抱きついてきた。怪我ひとつない。
名は風太。流行病で両親をなくし、遠賀川沿いに一人彷徨っていたのだった。

「人じゃなくたって何だって構わない。お前さんは仲間だ。この子も!」
村人たちは二人を温かく迎え入れた。
潮女は風太を引き取り、村で一緒に暮らすことになった。

それから十数年。
風太は立派な青年に育った。
長い長い命を持つ潮女は、いつまでも人間と同じ時間を生きることはできない。
潮姫はある朝早く、誰にも見られないように海に帰ろうと浜に向かった。
しかし、そこには風太を先頭に村の者全員が待ち受けていた。

村人たちが口々に別れと感謝の言葉をかける中、なにかときつく当たっていた山田のおばあさんが潮女の前に立った。
「挨拶もせずに行っちまうなんて、許さないよ!」
おばあさんはふんと鼻を鳴らし、そっぽを向いたままぶっきらぼうに言った。

「あんたの正体なんか最初から知ってたよ。その昔、大波を起こした迷惑な化け物がいたという話を子どもの頃おばあさんから聞いていたからね。村に来てからも、いつかその恐ろしい力を使うんじゃないかって見張ってたんだ…だけどさ、あんたは力を使わない。もしかしてただの人なのかと思いかけた時あんたが使ったのは、誰よりも強く優しい力だった」
潮女の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「よしとくれよ。あんたが泣くと嵐がくるんじゃないかって心配になるじゃないか。寂しくなったら、いつでも帰っておいで。この村もあんたの故郷なんだから」
おばあさんはそう言うと、涙を誤魔化すように手ぬぐいで顔を覆った。
潮女も村人もみんな泣きながら笑った。

「おっ母さん、今日までありがとう」風太が潮女の涙をそっとぬぐった。
「ありがとう…風太。みんな、ありがとう」

潮女は何度も振り返りながら、美しい芦屋の海へと帰っていった。

それからのち、村の人々は潮女が住む美しい海を大切に守り続けた。
塵(ちり)を拾い、浜を清め、決して海を汚さなかった。
そして潮女もまた、激しい嵐の日には大波を鎮め、日照りの時には恵みの雨をもたらし、村の人々をずっと守り続けたという。

…………………………………………………………

「人と水妖の絆が今も続いていることを私は信じているよ」
祖母はそう締めくくった。

小学四年生の夏、芦屋に海水浴に行った日の夜に聞いた話である。

チョコ太郎より

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