新・祖母が語った不思議な話:その弐拾捌(28)「あとぜき」

 明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

イラスト:チョコ太郎(協力:猫チョコ製作所)

 「あらら? ちゃんと、あとぜきしようね」
 小学1年生の夏休みもあと1週間で終わろうとしていた頃、外から帰って座敷に飛び込んだ筆者を見て祖母が言う。
 「あとぜきって何?」
 「あ、これは熊本の方言だったね。『後関(あとぜき)』は部屋を出入りするときにきちんと戸を閉めること」
 「ふ〜ん! あとぜきかぁ。しめなかったのはこれで手がふさがっていたからだよ〜」
 両手に持った大きな二つの梨を見せた。
 「まあ見事! どうしたの?」
 「ケン坊んちへあそびに行ったんだけど、いなかったんだ。おばちゃんにきくといなかに行ってるって…しょんぼりしてかえろうとしてたら、おばちゃんがくれたんだよ」
 「そうだったの」

 「でもおばあちゃん、どうしてくまもとのほうげんなんて知ってるの?」
 「『えい』さんと言う大叔父の奥さんが熊本出身でね。そこの孫…従姉妹の八重さんが私と同い年で仲良くしてたから」
 「そうなんだ」
 「その奥さんが亡くなったとき不思議なことがあったのよ」
 「えっ? どんな? 聞きたい! 聞きたい!」
 「じゃあ、その前にちゃんと…」
 「りょ〜か〜い!」
 祖母の言葉が終わらないうちに襖(ふすま)を閉めた。

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【祖母の話】
 えいさんの家は今の折尾駅の近くだった。
 きちんとした人でね。食事や立ち居振る舞いも美しく、いつも背筋がぴしっと伸びていたよ。
 台所やお風呂もいつもピカピカ。使う道具も奇麗にお手入れされていた。

 八十を前にして亡くなったんだけど、後のこともきちんと準備していた。
 そのとき私は二十歳前、お通夜の手伝いに行ったよ。
 えいさんは生前から付き合いも良かったから多くの人が訪れていてね、従姉妹と私はてんてこ舞い。
 小さな子どもも何人も来ていて、走リまわって転ぶ! 泣く!
 そのうちの一人がえいさんの寝棺(横に寝せて収める棺)の横に置いてあった棺の蓋にぶつかって、それがパタリと倒れたの。
「あ、元のところに戻さないと」と思ったんだけど、台所から急ぎのお呼びがかかってね。そっちを手伝ってるうちに蓋のことは後回しになってしまった。
 弔問客を送り出し終えて仏間に戻り棺のところに行くと、不思議な事に蓋は元のところに立てられていたの。
 皆を送り出す直前にちらっと見たときは、まだ蓋は倒れたままだったのに…いつの間に? 誰が?
 奇妙に思いながらも、その晩は家に帰ったよ。

 翌々日、葬式でえいさんの家に行った。
 最後の挨拶を終え蓋を釘で打ち付けると、男衆は棺を担ぎ仏間から出て行った。従姉妹の八重さんたち家族も一緒に。
 私は線香や蝋燭の始末をしてから焼き場へ行くことになっていたので祭壇を片付けていたの。
 そうしたら後でなんとも言えない気配がしてね。
 振り返ったそのとき、開け放たれたままになっていた襖が閉まったの。
 そろり…そろりと。

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 「えいさんの…ゆうれい…かな?」
 「ちゃんとした人だったから、最後にきちんと戸締まりしたんだと思う。この話をしたら八重さんは『おばあちゃんは、あとぜきを忘れたこと一度もなかったから』と納得したように言っていたよ」
 「ボクもちゃんとあとぜきするよ」
 「それは偉い! けど、手が塞がっていたということは…入るときに襖は足で開けたのかな?」
 「わぁ〜ゴメンナサイ!」
 「これで覚えてくれればいいよ。さあ梨は冷蔵庫に入れておこう」
 「うん!」
 冷えた梨はとても美味しかった。

 それから長い年月が流れた今でも戸や襖が開いたままになっていると、ひとりでに閉まるんじゃないかと気になって仕方がない。
 そろり…そろりと。

チョコ太郎より

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