「千曳の岩に行かにゃ… 千曳の岩に行かにゃ…」血だらけで発見された氷屋の男性が、意識朦朧としながら繰り返し呟いていた言葉。それは村人たちが恐れる禁足地の名前でした。
女の鬼が封印されているという、あの世にも通じる恐ろしい場所。
そして、村人の一人が口にした疑問。「六人がかりでやっと動いた大岩を、あの男はどうやって一人で開けたんだろう?」
明治時代のある村で実際に起きたとされる、戦慄の神隠し事件。
明治生まれの祖母から聞いた、恐怖の実話怪談をお届けします。
祖母と映画の帰り道で:『千曳の岩』と呼ばれていた場所

小学三年生の夏、名画座で映画「二十四の瞳」(昭和29年)が上映され、祖母と観に行った。
自分と同じくらいの子どもたちや高峰秀子扮する大石先生の瑞々しい演技、小豆島の美しい風景に魅了された。
そして、それ以上に多くの教え子たちが生きて帰れなかった戦争の悲しさ、怖さが胸に残った。
「久しぶりに観たけれど良い映画だね。真面目なだけじゃなく、ユーモアもあって」
帰りのバスの中で祖母が言う。
「男先生が変な歌を歌わそうとするところとか面白かったね」
「『千引(ちび)きの岩』のシーンだね。千引きの岩の事は知ってる?」
「うん。『日本の神話』で読んだから。黄泉の国からイザナミやヨモツシコメが追いかけてくるのをふさいだ岩でしょ」
「そうそう。おばあちゃんが育った隣村にも『千曳の岩』と呼ばれている場所があったよ。不思議な出来事もあった」
「どんな? どんな? 聞かせて!」
「う〜ん…今は話さないほうがいいね」
「え〜!!!」
それから数年後、忘れた頃に祖母が聞かせてくれたのがこの話である。
事件の発端 – 消えた氷屋の男

祖母が十歳の夏、届け物があって隣村の親戚を訪ねた。
少しでも涼しいうちにと朝早くに家を出たが着く頃には汗びっしょりだった。
行水を使わせてもらい、井戸で冷やした水瓜を食べていると同い年の従姉妹が走り込んで来た。
「神隠しにあった氷屋の伍一さんが見つかったって! 集会所に運ばれたって! 行ってみようよ」
祖母の腕をつかむと従姉妹は走り出した。
禁足の地「千曳の岩」

集会所には噂を聞いた老若男女がすでに集まっていた。
その中央に敷かれた布団には若い男が横たわってる。
どこを歩いたのか膝から下は血に染まっていた。
「千曳(ちびき)の岩… 千曳の岩に行かにゃ…」
男は目をつむったまま、ぶつぶつと呟いている。
「山道で倒れとるのを見つけたんじゃが、ずっとああ言うとるんじゃ」
「千曳の岩か… ひと昔前は禁足の地じゃったが… 何の用があるんかのう?」
「う〜ん… それにあの脚はどうしたんじゃろうな」
村人たちは一様に怪訝な顔で伍一を見下ろしていた。

「千曳の岩って何?」皆の話に気になった祖母は従姉妹に聞いた。
「崖に開いた洞を大きな岩で塞いでるところ。女の鬼が封じられているって聞いた。あの世にも通じてるんだって」
それを聞いてとても気になったがいつまでもいるわけにもいかず、祖母は暇(いとま)を告げた。

翌朝に消えた氷屋の男が向かった先は…

それからひと月、祖母は再び親戚の家を訪ねた。
「伍一さん、どうなった?」
「うん… 運び込まれた翌朝見ると布団はもぬけのからでね。村中探しても見つからない、山狩りしても見つからない… もうこれはあそこしかないと、みんなで行くことにしたんだ」
「千曳の岩…」
戦慄の発見と残った疑問

「岩の所に行くとね、声が聞こえたの。かすかだけど伍一さんの声が」
「中から?」
「うん… それで力自慢の男の人四人が岩に取り付いたんだけど動かなくて…もう二人加わって、やっと動いたよ」
「伍一さんは?」
「洞窟の中に倒れてて… もう仏さんになってた」
「じゃあ… 中から聞こえた声は?」
「…分からない。伍一さんを運び出すと岩を元通りにして神主さんが封印を施してしめ縄を張った。村に戻る途中、一人がポツリと言ったよ。『六人がかりでやっと動いた大岩を伍一はどうやって開けたんだろう?』って」
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あのとき、なぜ祖母がこの話を語るのを躊躇(ためら)ったのかは聞きそびれた。
(ファンファン福岡公式ライター/チョコ太郎)


