明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方からいただいた続編を望まれる声にお応えした第3シリーズです。

大学生の時、文化人類学を専攻したこともあり毎年盆前に行われる特別講座「民俗調査」に3年間参加した。
対象地域は壱岐。
数十人が5、6人ずつの班に別れ、数日に渡り担当エリアに残る独自の風習や伝承を調査するというもの。
基本はそのエリアを歩き、気になるもの(史蹟や石仏、古い住居や軒に祀ってあるもの等)を地図中に書き込み撮影し、住民に聞き取りするという内容だった。

初年度は土地感もなく、慣れるまで苦労した。
同じ班、同学年の桑田君とコンビを組んだ。
担当エリアの地図を見ながら近いポイントから順に回る…これが失敗だった。
高低差を考慮していなかったため、何度も上り下りする羽目になってしまったのだ。
日陰になるところもほとんどない。
福岡のようにどこにでもコンビニや自販機があるわけでもない。
真夏の太陽に灼かれ、喉も枯れ、ただただ歩き回った。

瀕死で宿泊施設の公民館に戻り夕食を終えると二人で作戦を練った。
麦わら帽子を調達すること、水を携帯すること、そしてあらかじめ無駄のないように回るコースを決めておくこと。
「あ、ここなんか変じゃない?」コースを決めるために調査済みのエリアをチェックしていた桑田君が地図に鉛筆で◯を付けた。
「ん? …ほんとだ。こんな田んぼの真ん中に丸く石組み…何だろ?」
「気がつかなかったね! 明日行ってみようか?」
「うん…と言いたいけど、今日の調査があまり芳しくなかったから明日は頑張って回らないと…でも、気になるなぁ〜」
「じゃあ朝から二手に別れて各々調査を進めて、昼食時に合流でどうかな?」
「お、いいね。どっちがここに行く?」
「ここ、面白そうだよね。田んぼはあるのに周りに家が全然ないのも不思議だし」
「うん。調べてみたいね」
「二人ともこっちに行きたいかあ…じゃあ、じゃんけんで!」
勝ったのは桑田君だった。

朝食を終えると二人は別々の方向に出発した。
事前にコースを決めていただけあって快調に進み、予定エリアの調査の八割方を午前中に終えると集合地点の食堂に向かった。
15分ほど待っていると陽炎の立つ山道を桑田君がやってきた。
「ごめんごめん! 遅くなったね」
「いやこっちも少し早めに来てたから」

「よかった! あの場所、謎の神様祀った祠だったよ。できるかぎりあちこちの家で聞いたんだけど誰も何を祀っているのか知らないんだ」
「へえ! 古いもの?」
「う〜ん…それがね、祠は割と新しいんだよ。ね、不思議じゃない? 写真は撮ったし、スケッチもしたよ」
「見たい見たい! あ、でも先になにか食べよう」
そう誘った瞬間、桑田君が嘔吐した。
「えっ? ど、どうしたの?」
「なん…だか、すごく頭が痛くて…気持ち悪い」
そう絞り出すように言うとまたもどした。

これは調査どころではないと、食堂の中に寝かせてもらいお店の黒電話で担当教授に連絡を入れた。
桑田君は気を失ったように眠っている。
バイトらしき女の子が濡れタオルを額にのせようとしているのが見えた。
しばらく待っていると教授がバンで迎えに来て、桑田君を乗せていった。
残りの調査を片付け公民館に戻り桑田君の姿を探していると教授が話しかけてきた。
「彼は病院に搬送しました。今日明日は入院になります」

それから調査が終わるまで桑田君を見ることはなく、次に会ったのは学祭の準備が始まる頃だった。
「やあ、久しぶり! 民俗調査、大変だったね。もう大丈夫?」
「うん。結局1日早く福岡に戻ったんだよ」
「そうだったんだ…ねえ、あの祠の写真って見せてもらえないかな?」
「いや、もうない。それにあそこの話はしないほうがいいよ」
そう言うと桑田君は去って行った。

二年目に参加したとき、あの祠のあるエリアの調査を希望したが「あそこは初参加の学生が担当することになっているから」ということだった。
担当したのは漁村エリアで山村とは違う風習や信仰がありとても興味深く、あっという間に調査最終日を迎えた。
少し早めに本部に戻って他の班を待っていると、やって来たのが教授のバン…と見ているうちに中からぐったりした女学生が運び出された。
心配そうについてきた、たぶん同じ班だと思われる一年生が降りてきたので、どうしたのか聞いてみた。
「少し目を離したら田んぼの横の道で倒れていたんです」
「その田んぼになんか…祠みたいのがなかった?」
「ありました! あの子、それを調べに行くって言ったんです」
…間違いない。同じ祠だ。

三年目の夏も壱岐にいた。
担当エリアはもちろん違うが、祠がどうしても気になる。
調査スケジュールをツメツメにし、半日時間を作りあの場所を目指した。
カナカナカナカナ…ヒグラシが鳴く森を夕陽が染める頃、祠のある田んぼに着いた。
祠は高さが1m20cm、奥行き1mと思ったより小さい。
出来て7、8年、どこにも碑や文言がなく、ただ水と花が供えてある。
写真を撮ろうとカメラを出したとき、声がした。

「いらんへっぱくばすな。名ば言うだけでん祟らるっけん(余計なことはしない方がいいよ。そこの神様、名前を口にするだけでも祟られるから)」
17、8くらいの女の子がこっちに向かって「戻れ戻れ」と真顔で手招きをしている。
鳥肌が立った。
「ここは決して触れてはならない場所なのだ」これまでの出来事に加え、この警告で理解した。

道まで戻るとどうしたらいいか分からず、とりあえず頭を下げた。
「ここはいっきょいおとろしかけん近づかんごと」見覚えのある顔…食堂で桑田君を介抱してくれた子だ。
「ありがとう。前にも友達を助けてくれたね」
「あー! あん時ん人! 懲りんねぇ」
「すみません」
もう一度頭を下げると女の子は笑顔になった。
二人で長く伸びる影を踏みながら町に戻った。

宿泊している民宿の入口を潜った瞬間、壁に掛かっていた油絵の大きな額が突然降ってきた。
咄嗟に避けると硝子が粉々に砕けた。
福岡への帰りのフェリーでは船内に展示してあった壱岐の昔の人々が映った写真の額が落ちてきた。
危うく頭に直撃するところだった。
偶然ではない?…なんだかとてもマズい気がした。

アパートに戻るなり祖母から電話がかかってきた。
元気にしているか、お盆には帰るかといったやりとりの後、「何か変わったことはなかったか」と尋ねられたので、祠の件をやんわり伝えた。
それからは特に不思議なことも起こらず、お盆に帰省した。

実家に祖母はいなかった。
「おばあちゃんどこに行ったの?」
「急に壱岐に行くって言い出して。今日帰ってくるはず」と母。
夕飯を食べ、縁側に座っていると祖母が帰って来た。
「おかえり! 壱岐に行ってたの?」
「うん、ちょっと後片付けにね」
「僕の?」
「う〜ん、みんなの…かな」
「そうなんだ、ありがとう!」
「年寄りはいろいろ気になるもんでね。はいお土産」
「あ、かすまき…おばあちゃんへのお土産もこれにしちゃったよ!」
「同じ壱岐だものね。じゃあ交換!」
「うん。交換!」
祖母の笑顔に心の中の澱(おり)が溶けていった。




チョコ太郎より
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