明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズ、今回は祖父から聞いたお話です。

江戸の若き絵師・宗雪(そうせつ)は、その名の通り冬景色を描くのが誰よりも巧みだった。
ある日、これまで描いたことのない雪景色を探して、誰も足を踏み入れぬ深山へと分け入った。
粗末な庵を結び、日々表情を変える自然を描き続けた。
数日過ぎた夜、雪明かりの林で筆を走らせていると後ろに気配を感じた。
振り返ると、岩に座り空から降る雪を愛おしそうに掌(てのひら)で受け止めている娘がいた。
透けるような白い肌のその娘は六花(りっか)と名乗った。

彼女に魅了された宗雪は、何百枚、何千枚と筆を走らせた。
笑う六花、雪と戯れる六花、舞い踊る六花…画帖は、彼女の姿で埋め尽くされていった。
六花もまた、宗雪の静かな情熱に心を開いていった。

しかし、日を追うごとに六花の顔に影が差すようになった。
気のせいだと笑ってごまかそうとしたが、宗雪には通じなかった。
「宗雪様はお見通しですね。お察しの通り六花は雪の精です。春の風が吹けば私は水へと還らなければなりません」
その姿は日に日に薄くなってゆく。
そして春風が吹いた。
「かけがえのない時間をありがとうございました。雪の精に温もりは禁物ですが、宗雪様のあたたかいお心はとても心地よかった…」
「まて! お主がいなくなったら儂は…」
六花は微笑み、露となって消えてしまった。

江戸に戻った宗雪は、大屏風に取り掛かかった。
皆は「雪の絵師」の最高傑作が見られると期待した。
ところが、完成した屏風を見て、人々は首を傾げた。
右隻(うせき、右側の屏風)には六花と出逢った夜の山々が、左隻(させき、左側の屏風)には六花と語り合った静かな林が、見事な筆致で描かれていたが、中央はただ漆黒に塗られていただけだったからだ。
その「謎」は江戸中の噂となったが宗雪は何も語らなかった。

それから一年、初雪が舞った夜。
宗雪が障子窓を開け降りしきる雪を見上げたとき、ひんやりとした風が吹き込んできた。
迷い込んだ雪の粒は磁石に吸い寄せられるように、みるみる屏風の黒地の部分へと集まっていく。
雪の粒が描き出したもの…それは真っ白な雪の精・六花の姿だった。
六花は屏風の中からふわりと畳の上へと歩み出し、満面の笑みを浮かべた。
「宗雪様がこの場所を用意してくださったから、戻ってくることができました」
宗雪が空けておいた屏風の「黒」は、彼女が天から降りてくるための「門」だったのだ。
それから毎年冬の間、宗雪と六花は睦まじく時を重ねた。

時は流れ流れ…江戸の町に初雪が降った夜。
「雪の絵師」として名を馳せた宗雪も今や白髪の老人。
弟子たちもみな家に帰らせ、一人静かに床に伏していた。
夜半を過ぎる頃、枕元に立てられたあの屏風の黒地から粉雪がひとひら、ふたひら。
「……ああ、来てくれたか」
宗雪が微かに目を開けると、側に六花が側に座っていた。
優しく微笑むと老いた宗雪の手を掌で包んだ。
「春が来ても、もうどこへも還りません。貴方の描いたこの景色の中でずっと一緒です」
宗雪の頰を一筋の涙が濡らした。
六花がそっと抱き寄せると、宗雪は目を閉じた。
翌朝、弟子たちが様子を見に訪れると、穏やかな顔で往生を遂げた宗雪の姿があった。

驚くべきことに、枕元の屏風の「黒」かったはずの中央には、仲睦まじく寄り添っている若い男女の姿が、まるで最初からそこにあったかのように見事な筆致で描かれていた。
「墨門招雪図」と名付けられた屏風は、冬景色が描かれているのに見ていると不思議と心が温かくなると大評判になった。
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「六花というのは雪という意味なのよ。雪の結晶が六枚の花びらのように見えるところから付いた名前」
珍しく大雪が降ったある晩に、祖母が聞かせてくれた話である。






チョコ太郎より
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