児童館での、なんてことないママ同士の会話。しかし「うちは放任主義だから、子どもは勝手に育つのよ〜」という一言が私の心に引っ掛かりました。もちろん、育児のやり方に正解はないし、家庭の数だけスタイルがあることもわかっているつもりです。でも、2歳の息子とおもちゃの取り合いになっているのに、スマホを見ているばかりで一切注意しない姿に、私はモヤモヤが止まりませんでした。
価値観の衝突は、児童館のすみっこで

息子が2歳だったある平日の午後。近所の児童館へ行った時のこと。人の少ない時間を狙って行ったのに、その日は意外と混んでいて、小さな子どもたちがプレイスペースで思い思いに遊んでいました。そこで出会ったのが、あるママ。見た目はラフでフレンドリー。年齢も近そうだったし、最初は気軽に話しかけてきてくれて、ちょっと安心していました。
でも、その数分後。
「うちは放任主義〜。子どもは勝手に育つよ」と笑顔で話し始めた時、私は思わず固まってしまったのでした。
その時、まさに私の息子とそのママの子どもが、おもちゃの取り合いをしていたんです。息子はお気に入りの木の汽車を手に持っていたけど、相手の子が無言で奪い取ろうとして、ちょっとした揉めごとに…。
私は「あ、ごめんね。順番に使おうね」と声をかけたけど、そのママは少し離れたベンチでスマホをいじったまま、まったく無反応。ちらっと様子を見たと思ったら、目線は画面のまま。「あ、うちそういうの気にしない主義だから〜」と一言。
「えっ……今、トラブル起きてるんだけど!?」と、私は内心パニック状態。同じおもちゃを探したり、けんかにならないように仲裁したり…。子ども同士のやり取りに、すべて介入すべきとは思わないけど、明らかに一方的に取ろうとしている状況にすら無関心なのは、どうなのよ!とイラっとしたのは言うまでもありません。
そのママの姿勢に、思わず価値観の壁を感じてしまった出来事でした。
「うちは放任主義だから」発言の真意とは

児童館からの帰り道、私はずっとその言葉が頭から離れませんでした。
「うちは放任主義。子どもは勝手に育つ」。
そのフレーズだけ切り取れば、たしかに一理あるとは思います。子どもには本来、自分で育つ力があるし、過干渉よりは自立心を育てる関わり方のほうが理想的だと言えるかもしれません。
でも、「放任」と「見守り」って、全然違うでしょ!!子どもが困っている時、危険な行動をしている時、周囲に迷惑をかけている時。そういう場面で「見て見ぬふり」をすることは、放任じゃなくて責任放棄に近いんじゃないかと思いました。
スマホをずっと見ていたあの姿。わが子が他の子と衝突しても、「子どものうちにそういうのは学ぶから」と言って、全く介入しないなんて…。
それは、しつけをしないのではなく、関わりをやめているだけのように私には見えました。もちろんそのママにも事情があるのかもしれない。でも、目の前で息子が困っているときに、相手の子のママからフォローがない状況は、母親としてただただ悲しかったし、相手の子もママに構ってほしくてそんなことをしていたかもしれないのに…。そう思うと、相手の子のこともかわいそうになってしまいました。
自分の育児に自信なんてない。それでも…

正直、私も育児の正解なんてわかりません。毎日、泣いたり怒ったり笑ったりしながら、「これでよかったのかな…」の繰り返し。
夜中に反省会を開き、明日こそ優しいママでいようと決意し、翌朝にはまたイライラしてしまう。そんな自分に自信が持てず、他のママの姿を見ると「私は間違ってるのかも…」と落ち込むこともしょっちゅうでした。
だから、スマホ片手に余裕たっぷりで構えるあのママの姿は、今思えばどこかうらやましくもあったのかもしれません。
でも、「私はこういう育児をしてる」と断言するよりも、「どうしたらこの子にとって一番いいのか」を日々模索しながら、目の前の子どもとちゃんと向き合っているママのほうが、ずっと強くて尊いと私は思うんです。
私には「勝手に育つから大丈夫」なんて、割り切れない。育児って、答えのない道を、手探りで歩くことの連続。だからこそ、子どもと一緒に「成長していってる」と感じられる毎日が、私にはすごく大事なことのような気がしています。
(ファンファン福岡公式ライター/Happymam)





