明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズ、今回は「岩見と蜘蛛」のお話です。


秋の夕暮れどき。
岩見と絲は縁側に腰掛け、庭の錦木を見ている。
「今年も奇麗に染まったな」
「移ろう季節に合わせて衣替えですね」
「うむ」と茶を飲み干す。
「そういや岩見様は私と出逢う前に妖に遭ったことはあるんですか?」絲が岩見の湯呑みに茶を注ぎながら訊く。
「なにが『そういや』だか分からんが…ある」
「へえ!どんな妖(あやかし)でしたか?おいくつの頃です?」
「そうだな、あれも秋だったな」

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【岩見の話】
拙者が元服を迎えて少し経った頃、国境(くにざかい)にかかる橋のたもとに女の妖が出ると噂が立った。
日が暮れて通りかかる男衆を呼び止め、赤子を抱いてほしいと言う。
出くわした者は抱くどころではなく這這の体(ほうほうのてい)で逃げ出した。

手入れに来ていた庭師からこの噂を聞いた拙者はなぜか気になって仕方がない。
大きな月が昇る頃、国境に出かけた。
女はいた。

「お願いがございます。私が戻るまで、この子を抱いていてほしいのです」
その顔があまりに必死に見えたので赤子を受け取った。
「心得た」
「ありがとうございます。決してお手から離さないように」
女は頭を下げると走り去った。
赤子はすやすやと眠っている。
「これくらい何ともないが、いつまで抱いておればよいのだろう…ああそれにしても良い月だ」そんな事を考えておったが、しばらくして異変が起こった。
赤ん坊がだんだん重くなっている!

やはり妖だったか!
しかし一度引き受けた武士の約束、破るわけにはいかん。
そう思っている間にも赤子はどんどん重くなる。
まるで太り続ける岩を抱いているようだ。
脂汗を流しながらも持ち堪えていたが、どうにもこうにもならないくらい重くなった。
もうこれ以上は無理だと思ったとき「南無八幡大菩薩!」と思わず唱えていた。
その瞬間、赤子は腕の中からフッと消えた。
訳も分からず立ち尽くしているとあの女が走ってやって来た。

「ありがとうございました。貴方様のおかげで二つの命が救われました」
「どういうことかな?いや、そもそも其所許(そこもと)は?」
「お察しの通りこの世の者ではありません。この先の村で月を迎えたのに子が生まれず苦しんでいる娘がいて、このままでは二人とも死んでしまう…なんとか助けたいと思ったのですが私の力では母親を救うのが精一杯、それで赤子の命を支えてくれる胆力のある方をここで待っていたのです」
「そうだったのか。赤子も無事なのだな?」
「はい、貴方様が抱いていた赤子が重くなった時は危ない時でした。もう駄目かと思ったその時、南無八幡大菩薩と唱えてくださいましたので無事産まれることができました」
「そうか…良かった」

「本当に、ありがとうございました。日付が変わると母子の命はありませんでした。私のできる限りのお礼をしたいと存じます」
「お礼?」
「力を強くして差し上げるか、体の悪い所を治すくらいですが」
「それは他のものにでもお願いできるか?」
「はい、大丈夫です」
「家に拙者が生まれた時に植えた錦木があるのだが、枯れかかっていて庭師からも匙をなげられた。それを救ってはもらえぬか?」
女はにっこり笑うとすっと消えていった。

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「それがこの錦木だ。あれから毎年、こうやって美しい姿を見せてくれる。…しかしあの妖は何だったのだろう?」
「姑獲鳥ですよ。産で身罷(みまか)った娘が浮かばれずに彷徨っていたんです。難産を助け無事子どもを産ませたから思い残すこともなくなったんですね」
「そうだと嬉しいな」
「岩見様はその娘の魂も救ったんですよ。さあ、夕飯の支度でもしましょうか。今日はいい話聞いたから岩見様の好きなもの作りますよ」
「絲の作るものは全部好きだ」
「まあ!熱でもあるんじゃないですか?」夕陽に照らされた顔がさらに赤くなった。
「お主こそ熱があるのではないか?顔が赤いぞ。まるで錦木のようだ」
「岩見様のおたんちん!」
その声を合図に庭では鈴虫が鳴き始めた。




チョコ太郎より
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