もう食べられないカレー屋さん②湖月 久留仁譲二の小市民だより

 閉店してもう食べられない思い出のカレー店を順次紹介すると書いて、最初の店「河」のことを書いたのが5月。ずい分時間が経ってしまったけど、ようやく2店めです。

 その名は「湖月(こげつ)」。中洲大洋劇場の近くにありました。只今64歳のわたしが20歳代後半の頃ちょいちょい吸い込まれるように入店してました。今調べると1992年に閉店したというので、もう33年前です。

 もう中洲大洋劇場も閉館しましたが、このあたりにあったんですよねえ。

 大洋劇場だけでなく、中洲にはピカデリーとか映画館がひしめいてました。湖月のカレーはデートや単独で映画楽しんだ人たちも多く楽しんだことと思われます。

 私は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をこの中洲でみたことは覚えています。

 上は今の中洲の写真ですが、湖月の店舗があった場所、はっきり思い出せないんですよねえ。だいたい無くなった建築物全般そういう感じでどこだったかわからなくなるのですが。

 カレーそのものとかお店の写真とか全然無いので、”へびの生殺し”的欲求不満を感じさせて申し訳ないのですが、つたないながら文字で湖月の思い出をつづります。

 わたしはもっぱらカツカレーを注文していただきました。500円するかしないかだったんじゃないかなあ。天神で働いていたので、昼食に中洲まで来ることはあまりなく、午後3時過ぎとかよく食べてました。近くに営業の訪問先が数軒あったので、その行き帰りに「おやつ」として食べてたんです。すごい食欲だったなあ。もちろん昼めしは食べたうえで、まだおなかが空いたのです。

 ルーは黄色っぽい、まさに昭和レトロどころか大正ノスタルジーすら感じさせる、昔ながらの小麦粉とカレー粉で作ったカレーという風情でした。今ほとんど見かけないですよね。わたしが知る限りでは、テレビやネットでちょいちょい紹介される新潟の万代バスセンターのカレーがあんな色、たたずまいをしています。一度食べてみたいと思ってます。10年ほど前新潟に行く機会があったのですが、バスセンター工事中で休みだったんです。

 話を湖月に戻すと、辛みは強くなく多分魚介系の和風だしが利いてたんじゃないかと思わせる味。ちょっとそば屋さんのカレーみたいだと感じました。すごくうまみがあって、他にない。カツはよく覚えてないけど、分厚くはなかったんじゃないかな。サクサクしてカレーとの相性もよく、ほんと飲み物のようにペロっと平らげてました。

湖月のあった中洲の一角(酒一番も昭和な名店)

 なんで閉まったんだろうなあ。従業員もカレー店にしては大勢いて、活気があるようにお見受けしてましたが。

 あいまいな記憶ではありますが、たしか2階で作ったカレーを小型エレベーターみたいな機材で1階に運んでお客さんに出してたような・・・。それもまた味わいがありました。

 わたしが紹介するつもりの他のカレーもそうですが、時々思い出したように「無性に」食べたくなるのが湖月のカレーだったんですよね。

 「あの味を再現」とか「復刻した」というお店にも行ってみましたが、申し訳ないけど、「全然違います」ね。そのお店はお店でおいしいんですが、どう味わっても湖月とは別ものです。

 ああ、誰かほんとうにあの味を復活できませんでしょうか。まあ、無理なんでしょうね。残念ながら。

 ということで、この非建設的、非前向きな思い出にひたるだけの連載は続きます。すみません。

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※この記事内容は公開日時点での情報です。

プロフィール

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久留仁譲二

米国の本家と同い年のシニアブロガー。毎晩長いときは30分に及ぶ歯磨きを欠かさない。最近覚えたメルカリへの出品にはまっている。
17年乗った作業用の軽トラックをカッコいいカーキ色の新車に買い替えた。

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