明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズです。

江戸時代に入った頃、季節は秋。
瀬戸内のとある村里近くの山道に怪しい噂が立った。
幾人もの旅人が奇妙な体験をしたと言うのだ。

「もし」
山道を下り里が見えるところまでくると、脇の木立の中から声がする。
「誰か?」と声の方を向くと上品な年配の女性が鉢を抱えて笑っている。
つられて微笑むと体が動かなくなった。
これは? と焦っていると側で女の声がする。
「口を開(あ)いて」
どうしたことか、その言葉を聞くと自然に大きく口が開く。
女は手にした鉢から何かを竹篦(たけべら)で掬うと旅人の口の中に入れた。
「飲み込んで」
その言葉に逆らえずごくりと嚥下するのを見届けると女は消えた。
ようやく動けるようになった旅人は転がるように山道を駆け下り、里の家に飛び込むとこの出来事を告げるのだった。

「口の中に入れられたのはどろどろした甘酸っぱいものだった」
「女は四十がらみの別嬪(べっぴん)だった」
変事に遭った旅人たちは口々にそう言った。
「妖(あやかし)に遭ったら体の自由を奪われた上、何だか分からないものを食べさせられる」
そんな噂は近隣にも広がり、旅人や商人たちも村に続く山道を避けるようになった。
困った村人は奉行所に訴えた。
最初は気のせいだろうと笑っていた役人も、他所からの薬や食糧が入ってこなくなったのを見て「これは一大事!」と藩に報告した。
さっそく腕に自信の武士が二人使わされたが、他の者たちと同じように女のなすがままの結果に終わった。

「御免」
いよいよ困った村人たちが朝早くから庄屋の家に集まり相談しているところへ初老の侍が訪ねて来た。
山田兵庫という長く藩の奉行所に勤めた武士だった。
兵庫は変事の仔細を村人たちから聞くと礼を言い、そのまま件の山に向かった。
山に入ると迷いもなくずんずんと進んで行く。
昼を過ぎる頃、兵庫は切り立つ崖の下にある鬱蒼とした森に着いた。
そこに女がいた。

「やはりお主だったか。久しいのう」
「お懐かしゅうございます兵庫様。覚えていてくださったのですね」
「命の恩人を誰が忘れるものか。お主に会おうとあれから何度もこの山に入ったのだが、叶わぬままだった」
「申し訳ございません。人の姿になれるのは幾つもの偶然が重なったときだけで…」
「そうであったか! 旅人にあのようなことをしたのは儂を呼んでおるのではないかと思うて急ぎまいった」
「本当に久しぶりに人の姿になれましたので、兵庫様にお会いできる最後の機会かと思い…悪いこととは存じておりましたが、ほかに方法も持ちませんので…お許しください」
「良い良い。それほどまでにして儂を招いたのは?」
「…お別れを申し上げるためでございます」

「もしやお主、体が…?」
「はい。私は杏の木の精でございます。普通の杏よりはずっと長く生きられはするのですが、数年前より病を得…残りの命も僅かとなりました」
「そうであったか…よし! 儂もここに住もう」
「えっ?」
「なに、妻も子もおらん。しかも隠居した身だ。ここに庵を建てて其方(そなた)と共に太陽や月を見、風や雨を感じて日々を送ろう」
「ああ、嬉しい!」
女の頰を一筋の涙が濡らした。
兵庫は村人にことの次第を告げ、庵を建てる手伝いを頼んだ。
村人は「それで噂が収まってくれるなら」と一も二もなく賛成、庵は数日で完成した。

「皆のおかげで立派な終の住処ができた。かたじけない」兵庫は庵の前で頭を下げた。
「お礼を言うのはこちらでございます。変事を鎮めていただき、ありがとうございました。…ただ、あの女が何だったのかが皆気になってはおります」
「あれはな杏の木の精だ。昔…三十年ほど前にもなるかな…儂は藩命で山寺を建てる地を探していたとき突然崩れた崖の下敷きになってな。腰の上に大きな岩がいくつも乗って動けんようになってしもうた。誰も来ぬ山の中で五日…もう駄目かと諦めかけたとき、『口を開いて』と声がした。見上げると美しい娘がいて、鉢の中から何かを掬って食べさせてくれた。口一杯に杏の香りが広がった。それから五日、偶々(たまたま)訪れた炭焼きが人を呼んで助けてくれるまで、娘はずっと側にいて面倒を見てくれたのだ。その杏の木があれだ」
指差す先の森の中で一本の杏の木が少し揺れた。
季節外れの花がその枝を飾っていた。

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「これは私のおばあさんが聞かせてくれたお話」
「あんずの木はひょうごが好きだったからさいごにお別れが言いたかったんだね」
「兵庫が手厚く世話をしたおかげで杏の木は元気になり、毎年奇麗な花を咲かせ美味しい実をたくさんつけたそうだよ」
「良かった! あ、安心したらあんずジャムがたべたくなったよ」
「じゃあ一緒に買いにいこうか?」
「うん!」
それから二人で夕陽に染まる街に出かけ、夕陽のような杏ジャムを買って帰った。
忘れられない小学二年生の秋の出来事である。




チョコ太郎より
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