明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応えた第3シリーズ、今回は「岩見と蜘蛛」のお話です。


「岩見様らしくもない浮かない顔して、なにがあったんです?」
「うん…ご家老のお宅に呼ばれて行ったんだが、難しい事態でな…」
「どういった?」
「七つになるご家老のお孫娘・菊様がこの三日間目を覚まされないのだ」
「…で、それ以外に変わったことはありませんでしたか?」
「ある! 誰がやったのたか分からんのだが、菊様の顔に墨で髭が描かれていてな。どんなに拭いても何を使っても落ちないのだ」

「髭か…。どんな筆で描かれてましたか?」
「え? 筆? …そうさな、細くて太さが微妙に変化していて…普通の筆ではなかったような感じだった」
「なるほど。私、ちょっと出てきますね。あ、赤(猫の名前)には夕飯はあげました」
そう言うと蜘蛛はどこかへ出かけ、その夜は戻ってこなかった。

「さあ起きた起きた! 岩見様、出かけますよ」
翌朝戻って来た蜘蛛は寝ぼけ顔の岩見を叩き起こすと家老の家に向かった。
「こちらのお方は?」
「はあ…なんと言いますか…その…妖(あやかし)に詳しく…いつも私を助けてくれる…い、絲(いと)さんです」
もごもご口ごもる岩見に代わり蜘蛛が答えた。
「岩見様のお世話になっており、一緒に暮らしている絲と申します。以後お見知り置きくださいませ」
「おおそうであったか! 岩見、そのような方がおられるのならばなぜ早く言わん」
「あ、いえ、決してご家老様がお考えのような間柄ではなく…」
岩見は大汗、目を白黒。

「さっそくですが、菊様はどちらにおられますか?」
「儂が案内(あない)しよう」
家老について行くと奥座敷に七つくらいの女の子が眠っている。
話の通り鼻の下に髭が描かれている。

「まずはこれですね」蜘蛛はそう言うと懐から取り出した石のかけらで描かれた髭をそっと撫でた。
「おぉ! 消えた!」
「菊様の目が!」
家老の孫娘・菊は四日振りに目覚めた。
体を起こすと眠っていた間のことを話しはじめた。
「座敷で墨を刷っておりましたら見知らぬ女が入ってきて私の腕を掴みました。すると、体から魂だけが抜けたようになり、自分が座敷に倒れているのが見えたのです。恐ろしくなったので戻ろうとしたのですが、女が墨を手につけ私の顔になにやら描くと体は見えなくなりました。それからは女から逃げるのに必死であちこち飛び回っていたところ、急に体が見えたので戻ることができたのです」

「よかった! よかった!」
「ご家老様、菊様をまた狙うといけませんので妖を退治いたしましょう。このお屋敷に竹は植えておられませんよね」
「うむ。竹の花は禍(わざわい)の印と古(いにしえ)より言われておるので、植えてはおらん」
「では悪さをしているのは裏山の竹薮…全部刈ってしまいましょう。岩見様、出番ですよ」
「え? 拙者?」
「うちの者たちにも手伝わさせるぞ」
岩見たちが竹薮を刈り、根を掘り終えたのは夕方だった。

「まだ妖の気が残っていますね…岩見様、縁の下を見てくださいな」
龕灯(がんとう。明かり)を持った岩見が縁の下に潜ると菊が寝ていた辺りに筍が出ていた。
岩見が掘り出した刹那屋敷が揺れ、総毛立つような女の断末魔の叫びが響き渡った。

蜘蛛の巣だらけの岩見が這い出すと蜘蛛が笑いながら手を差し出した。
「これで終わったのか?」その手につかまりながら岩見が聞く。
「ええもう大丈夫です。菊様を狙っていたのは数百年生きた竹の妖。魂を抜いて体に戻れなくし、弱らせて喰らうんです」
「そうだったのか…あの髭はどういうまじないだ?」
「魂が抜けている体になんらかの変化を与えると、戻れなくなるのです。まぁ、その髭のおかげで妖の正体が分かったのですが」
「そう言えば、どんな筆か聞いていたな」
「はい。岩見様の話から、普通の筆ではなく竹を使って描いたものに違いないと思いまして。的中でした」
「あの髭を消した石は?」
「このまじないを消すには呪われた人と同じ名前の墓石で擦るしか方法がないので、探しに行きました」
「あの晩か!」
「はい! ちょいと苦労しましたが見つかりました」

二人は家老と菊をはじめとする大勢に見送られて家を出た。
岩見の手には掘り出した筍。
去り際に家老は蜘蛛を手招きし、そっと耳打ちした。
「おかげで妖退治もできたし菊も無事。いやかたじけない。岩見のこともよろしくお願い申し上げます。堅物なので心配しとったがお絲さんと一緒なら安心。祝言を挙げるときは儂が仲人になろう」
蜘蛛は満面の笑みを浮かべ深々と頭を下げた。
「家老は…何と言われたのだ?」帰る道々、岩見が聞いた。
「岩見は竹を掘るのが上手いから藩全体の竹薮の整備をさせるっておっしゃってましたよ」
「えっ! それはまことか?」
「アハハハハ! それより、名をつけてくださいましたね。絲…いい名前」
「気に入ってくれたか! 儂の恩人の名から一文字もらったのだ」
「ますます気に入りました! さあ赤が待っているからぼちぼち帰りましょう。今夜は筍御飯だ」
「う…妖怪筍…食すのか?」
「何言ってんですか! 獲ったものは食べる…この世の真理ですよ」
「う〜む…」
「平気ですよ! ただ長く生きてただけで、味は普通の筍です」
長い影を引きながら岩見と蜘蛛は帰って行った。
岩見は筍御飯を三杯平らげた。




チョコ太郎より
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