明治生まれの祖母のちょっと怖くて不思議な思い出をまとめた連載「祖母が語った不思議な話」正続編終了時に、多くの方から続編を望まれる声をいただきました。御期待に応え第3シリーズをお送りします!

中学に入るまで実家の風呂は母屋と離れたところにあった。
外から風呂釜に火を焚き、踏み板を沈めて入る、いわゆる「五右衛門風呂」だった。
「湯加減はどう?」湯船に浸かっているとよく祖母がこう言いながら窯に新しい薪をくべてくれた。
窯を焚き付けるのも大好きだった。
薪を組み合わせた間に入れた紙に火を点け、消えないように移していく。
夕闇の中に揺れる窯の火はとても美しかった。

初めて焚き付けが上手くいった日(たしか小学一年生の夏だったと思う)、一番風呂は祖母だった。
「ああ、いい湯だった! そうそう、一つお話を思い出したよ。戦争が終わった頃の話」
「わあ、聞かせて聞かせて」
風呂上がりの祖母は扇風機のスイッチを入れながら話し始めた。
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戦争が終わり二カ月ほど経った頃、祖母は故郷を訪ねた。
目的は身内の安否を確かめるため、そして食糧を確保するためだった。
幸い実家の母屋は焼けず、親族は皆つつがなく暮らしていた。
ただ、離れの風呂だけは焼夷弾の直撃で燃えてしまっていた。
数日滞在する予定だった祖母は幼馴染みの美琴さんがやっている宿の風呂を借りることにした。

「見ての通り風呂は入れるけど…」なぜか美琴さんの歯切れが悪い。
気になった祖母が聞くと重い口を開いた。
「この風呂釜は元々あったものじゃなくて、一年前に譲り受けたものなの。元のはヒビが入って湯が漏れ始めたから、あちこち頼み回ってなんとか手に入れたのよ。うちは宿屋だから風呂がないってわけにはいかないから」
「よくこのご時世に手に入ったね」
「そう。はじめは喜んでいたんだけど、お客さんが変なことを言いだしたの」
「どんな?」
「風呂に入っていたら『ゆかげんはどうですか?』と幼い女の子が聞くんだって。あまりに幼い声なので、どんな子が焚き付けているのかと戸を開けると外には誰もいない。気のせいかともう一度風呂に浸かるとまた同じ声…何人ものお客さんが同じ話をするのよ。中には裸で飛び出してきてガタガタ震えてたお客さんもいた。だからあまりおすすめはできないの」
「そうだったの…美琴ちゃんも聞いたの?」
「いや、ほら、私は昔っから怖がりだから…入ったことないよ」
「そう…しかしこのままじゃ困るでしょ? 私、入ってみるよ」

日が落ち、準備ができると祖母は風呂に入った。
湯はややぬるめだったが、その方がゆっくり入れる…のんびり湯船に浸かっていると外から心配そうな女の子の声が聞こえた。
「ゆかげんはどうですか?」
これか! と思った祖母は「少しぬるいから炊いてちょうだい」と返した。
少し経つと湯が温かくなった。
戸を開けたが誰もいなかった。

翌日の晩も祖母は美琴さんの家の風呂を借りた。
初日より少し湯の温度は高かった。
「ゆかげんはどうですか?」
声がした。
「だいぶいいけれど、あともう少し熱いといいね」
湯が少し温かくなった。
戸を開けたがやはり誰もいなかった。

次の晩も祖母は美琴さんの家の風呂を借りた。
湯の温度は丁度良かった。
「ゆかげんはどうですか?」
声がした。
「とても良いよ。こんなに気持ちの良いお風呂は初めて。焚き付け、上手だね」
外から嬉しそうな笑い声が聞こえた。
戸を開けると小さな女の子が走って行く後姿が見えた。
「もう声はしないと思うよ。これからもあの風呂釜を大切に使ってやってね」
翌朝、ぽかんとした美琴さんにそう言うと祖母は別れを告げた。

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「それからしばらくして美琴ちゃんから感謝の手紙がきたよ。もう声はしなくなったって」
「女の子…ゆうれいだったのかな?」
「どうだろう…念が残っているのは間違いないと思ったから、それを叶えてあげたんだよ。〝風呂が上手に焚けなかった〟…こんな些細なことにとらわれているなんて可哀想だからね」
「ねん(念)って何?」
「人の想いや気持ち、やり残したことに対する後悔…かな。あまりに強過ぎると逆に魂がそれに縛られたりすることがあるよ」
「そうなんだ…でも女の子はじょうぶつできたよね」
「きっとね」
祖母の話に満足し、その日はいつもより長く風呂に入った。
指がしわしわになった。




チョコ太郎より
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